音楽って素晴らしいですよね。
聴いていると色々な感情が揺さぶられます。
人生を豊かにするうえで音楽は欠かすことが出来ませんよね。
私たちに音楽を届けてくれるアーティストの方たちには本当に感謝しきれません。
そんな私たちに音楽を届けてくれて、華やかな世界で活躍しているアーティスト
しかし、その中に難聴と闘いながら歌い続けている方たちがいるのを知っていますか?

難聴を抱えて音楽なんて出来るの?

あの人も難聴だったの?
全然イメージ出来ない!
本記事ではそんな難聴というハンデを抱えながらも懸命に闘うアーティストをまとめました。
きっと勇気をもらうことが出来ると思います。
【勇気をもらう】難聴と闘うアーティストまとめ【心に響く音楽】
スガシカオ
シンガーソングライターのスガシカオさんは2011年に突発性難聴を発症されました。
発症の原因はストレスによるもので、所属事務所を卒業し、交渉と準備をしていた時期であったことが要因だと話されています。
当時のスガシカオさんのブログにはこのように書かれていました。
「この先一人になって、うまくいくかどうかわからないというものすごい不安と恐怖の壁、色んな重圧、世知辛い現実と人間関係、毎日心をグラグラさせるような出来事ばかりが続いた、そしてそれに連日、追い打ちをかけるようなアルバムプロモーションの激務・・・・
結局、何日も何日も耳鳴りがやまず、さすがに怖くなって医者に行った。」
通常1週間程度で治療を行わないと回復が難しい突発性難聴。
スガさんが病院へ行ったのは自覚症状から3週間程度経ってからでした。
「とにかくずっとずっと耳鳴りがやまない、頭がおかしくなりそうだった。」
「寝るときはラジオのノイズをヘッドホンで耳に流すと、耳鳴りがウソみたいにすっと消えてよく眠れた。毎日ノイズの中で眠りに落ちていた。」
この時のスガさんの気持ちはすごくわかります。私も約10年間、24時間耳鳴りが鳴りやまず精神がおかしくなりそうな時があります。
緩和させる手段として、ノイズを流すことは耳鳴りにとても効果的です。
現在のスガさんは、整体治療によって奇跡的に70~80%くらいまで聴力を持ち直しています。体調面、精神面などその日の調子によっては50%程度の場合もある様です。
しかしながら懸命に難聴と向き合い、今でも素晴らしい音楽を届けてくれています。
堂本剛(kinki kids)
デビュー20年を超えてもなお変わらない人気のジャニーズ所属のアイドルデュオKinKi Kidsの堂本剛さん。
華麗な経歴に見える剛さんも2017年に突発性難聴を発症しています。
メディアでも大きく取り上げられていたので心配された方も多いかと思います。
剛さんは、病院での治療での回復が難しく、鍼(はり)治療に切り替え、血流を良くするために筋トレなども行っているといいます。
剛さんは自身の難聴が完治しないことを受け入れながら、今後難聴と付き合っていきながら自身の表現を続けていくことを決意されています。
「無茶すると(耳を)壊しちゃうだけ。でも、多少の無理はしないと。ちょっとの無理をして楽しかったなという気持ちがいい作用を働かせればいいな」
本当に強い人です。無理のない活動ペースでこれからも新しい表現を続けていって欲しいです。
山口一郎(サカナクション)
個性的なサウンドでファンを魅了するロックバンド、サカナクションのボーカル山口一郎さん。
山口さんも2010年に突発性難聴を発症しています。
山口さんが突発性難聴を発症したのは、リリースしたシングル「アルクアラウンド」およびアルバム『kikUUiki』を引っさげて行われたツアーの数日前のことでした。
「ツアーの3日前くらいだったかな……急にめまいがして、耳鳴りもすごいし、変だなと思って病院行ったら、突発性難聴だって言われて」
大切なツアーを前に難聴を発症してしまった山口さんのとった行動は驚くべきものでした。
「ツアー延期なんかしたら、たぶん終わるな、って。」
「ほんとにバカだったんですけど、今思えば」
なんと山口さんは、難聴を抱えたままツアーを決行することにしたのです。
その結果、現在の山口さんは右耳の聴力はほとんど聞こえなくなり、低音のみ少し聞こえる状態のようです。
バンド、ファンの事を想ったうえでのことでしたが、やはり突発性難聴は早期治療を行う必要があります。
しかし、難聴である事を感じさせず常に山口さんにしか作れない音楽を生み出し続けています。
浜崎 あゆみ
一時代を築いたといっても良いほど大ブームを起こした人気歌手浜崎あゆみさん。
浜崎さんもまた突発性難聴を患っています。
浜崎さんが突発性難聴を発症したのは2000年の事。初のコンサートツアー等の多忙なスケジュールの積み重ねなどが理由で、左耳が難聴になりました。
しかし、サカナクションの山口さん同様、活動を優先してツアーを行うなどした為に左耳の聴力が低下し、その後も治療のための十分な休養を取らなかったことで症状は悪化し、左耳の聴力が失われてしまいました。
「私は心のどこかで手術を受ける時間をとりさえすればまた聞こえるのではないかと思ったが違った」
さらに医師からは、聴こえない左耳をかばうあまり、これまで左耳をサポートしてくれていた右耳の聴力が激しく衰退しているとも伝えられ、現状両耳に難聴を抱えている状態になっています。
しかし、浜崎さんはボーカリストとして歌い続けることを選びました。
「このことを悲観的にとらえないでほしい。私はこの現実を受け止めた。絶望なんかしていないし、希望の光が差していることもわかってほしい」
日本の歌姫としていつまでも最前線で戦い続けています。
大友 康平
ff(フォルティシモ)などの代表作で知られる元HOUND DOGのボーカル大友康平さん。
大友さんも2011年に突発性難聴を発症し、現在も片耳の聴力が戻っていない状態にあります。
バラエティなどでも活躍されている印象からは難聴を抱えられているとは想像も出来ませんよね。
突発性難聴を発症した大友さんは手術を受けましたが、状況は変わらなかったようです。やはり難聴の完治は今の医学では難しいのが現状です。
しかし、大友さんは歌い続けます。
「歌を歌うこと、それからお芝居することにほとんど支障はありませんでした。歌を歌えることの喜び、歌を聞いてくれる人がいるという幸せですね。」
難聴を抱えながらも、歌うことで自身もファンも幸せになれる。この考えは本当に素晴らしくて尊敬します。
病気を抱えていてもずっと変わらず格好いいロッカーです。
小室 哲哉
TM NETWORKや音楽プロデューサーとして歴史に残る数多くの名曲を生み出してきた小室哲哉さんも突発性難聴を抱える一人です。
すでに音楽業界を引退している小室さん。突発性難聴は引退の理由の一つでもあります。
メディアでも取り上げられることが多かったと思いますが、小室さんは壮絶な人生を歩まれており、様々なストレスを抱えるきっかけがありました。
ストレスが原因で発症した突発性難聴で左耳がほぼ聞こえず、常にキーンという耳鳴りがするといいます。
引退されているので、新しく小室さんの生み出した楽曲を聴く事は難しいかもしれませんが、これまで生み出してきたすべての楽曲は色あせないものです。
これまで走り続けた分、引退後はゆっくり難聴と向き合っていってほしいです。
相田翔子
現在も年齢を感じさせない可愛らしさが印象的な元Winkの相田翔子さん。
相田さんは突発性難聴とメニエール病を両方患ったことがあります。
ストレスや睡眠不足などから突発性難聴を患い、治療を受けながらの芸能生活を送っていた相田さん。
難聴を抱えていた当時を振り返り
「並行感覚がなくなったり、歌も聞こえづらかったり。静かな場所にいても、遠くで聞こえる音が頭の中で反響したりして、すごく辛かった」
「治るか治らないのか、入院中は夜も眠れずに不安でした。」
つらい闘病生活を語っています。
周りの支えや治療の結果、現在は「ほぼ完治」の状態とのことですが、耳鳴りなど小さな症状が出ることはあるといいます。
完治に向かう方もいるという事実が難聴を抱えている方の勇気にもなると思います。
宮本浩次
再ブームを巻き起こしているエレファントカシマシのボーカル宮本浩次(ひろじ)さん。
宮本さんもあのキャラクターからは想像できないですが、難聴を抱えていた一人です。
宮本さんが発症したのは左耳の「急性感音難聴」
突発性難聴とは違い、急性感音難聴は完治し得る数少ない感音難聴であることから、左耳の聴力がほぼ失われる状態になっていましたが、手術を受けたことで日常生活に支障はない範囲まで回復したといいます。
この出来事を宮本さんはこう語っています。
「病室で夜空の月を見ながら、無理をしてきたことを反省した。自分は永遠の若さを持っているわけではない。いつかは死ぬということも受け入れたんです。」
難聴だけに限らず、病気はとてもつらいことですが、病気と向き合う事で今までの自分を振り返り、これからのことを考えるきっかけになります。
この難聴を発症したという一つの出来事が宮本さんのこれからに大きな変化を与えていると思います。
完治した現在、皆さんご存じの通りエレカシは素晴らしい音楽を私たちに届けてくれていますね。
まとめ
今回の記事で紹介させて頂いた方は一部で、他にも難聴と闘っているアーティスト、有名人の方は多くいます。
紹介したアーティストの方の全てに言えることですが、全く難聴を抱えているように思えない方たちばかりではないでしょうか?
本心としては難聴を抱え、とてもつらいと思います。私自身も難聴を患っている為、そのつらさと皆さんの強さが本当に伝わってきます。
難聴と闘い、それでも私たちに素晴らしい音楽と勇気、感動を与えてくれるアーティストたち。
これからもずっと体を大切にしつつ、新しい表現を続けていって欲しいです。
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